中村さんが、幼い頃の出来事として思い浮かべたイベントは、1970年開催の大阪万博。今でも万博のテーマが“人類の進歩と調和”だったと即回答できるほど、その時に受けた印象を記憶している。
当時、小学5年生だった中村さん自身、子どもながらに鳥肌が立ち、これから生きていく未来を想い「良い世の中にしていきたい」と願った。そんな一方で、中村さんが、未来図を変更せざるを得ないと感じた出来事もある。
現在でもリメイク映画が作られている、1970年代にアメリカでシリーズ化した作品『猿の惑星』だ。この映画を観たとき、中村さんは恐ろしく強烈なディストピアな未来を初めて目の当たりにしたという。
中村さんが生まれ育った愛知県新城市は、愛知県東部・東三河地方に位置する地域。自然は美しいものとして認識していたのに、ある日いつも泳いでいる川がオレンジ色に染まってしまった。近くに清涼飲料の工場ができたためだった。
人間が猿に支配されるというSF映画がヒットし、社会が大きな前進をする中で引き起こされる環境汚染が進む未来もありうることを痛感した。
今から約半世紀前、高度成長期と呼ばれるこの時期に、当時の史上規模最大の博覧会で未来の社会に希望や期待を抱くと同時に、綺麗なものをいつまでも維持できるとは限らないと気づかされたのだ。
小学5年生にして、社会の変化や周りの環境に対して明るい部分もそうでない部分も見ていた中村さん。その時に抱いた未来図は、その後の人生にどんな影響を与えたのだろうか。
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